賀茂神社(かもじんじゃ)は鳥取県西伯郡南部町倭にある神社。 旧社格は郷社。
由緒
創立年代不詳。京都賀茂別雷神社より御分霊を奉遷して大平山(おおなるやま)の頂上に鎮座していたと云われる。その後、同山の中腹小平という所に遷り、さらに同山の麓に奉遷したと伝えられる。
戦国時代、尼子経久が伯耆国を領有すると、崇敬篤く社領100石が寄附された他、度々参拝して祈願、奉幣、社殿造営が行われたが、尼子氏滅亡と共に当社も次第に衰微した。江戸時代の1733年(享保18年)鳥取藩主池田氏より社領高10石の寄進があり、1872年(明治5年)4月郷社に列せられ、1907年(明治40年)2月3日に神饌幣帛料供進社に指定された。猪小路、北方、原、小原、新庄、上阿賀、下阿賀7ヶ村の氏神であり、近世まで賀茂大明神と称した。
1916年(大正5年)5月に大国村大字北方字宮ノ峠ノ山鎮座の無格社北方神社、同村大字原字客ノ前鎮座の無格社小原神社、1917年(大正6年)4月30日に天津村大字阿賀字王子﨏山鎮座の無格社阿賀神社、同村大字同字トヲベン神田鎮座の無格社田邊神社を合併した。
境内社
糺神社(ただすじんじゃ)は本社と同時の創立と思われ、本社と併せて賀茂両社、あるいは賀茂下上大明神と称されていた。
鷺神社(さぎじんじゃ)の創立年代は不詳。もと雲伯の国境渡田峠、通称疱瘡ヶ峠と称する所に鎮座していた。古来疱瘡神として信仰篤く、旧藩主池田氏の祈祷所であったと伝えられる。1897年(明治30年)10月失火により社殿が焼失したが1905年(明治38年)5月に再建された。1916年(大正5年)猪小路鎮座の田中神社(祭神:磐長姫命)を合併し、1917年(大正6年)に渡田峠より現在地の賀茂神社境内に奉遷した。 もとの場所には小祠があり祠内に疱瘡地蔵が祀られ、小祠の前には1825年(文政8年)6月の御神燈が残されている。現在の祭神は稲背脛命であるが『伯耆志』に「祭神は束積の鷺神社に同じ」とあるため、もとの祭神はスサノオであった可能性がある。
祭神
- 主祭神
- 別雷命
- 配神
- 神武天皇
- 天照大御神
- 豊岩窓命(北方神社:大正5年5月、阿賀神社:大正6年4月30日合祀)
- 大己貴命(小原神社:大正5年5月合祀)
- 少彦名命(小原神社:大正5年5月合祀)
- 倉稲魂命(田邊神社:大正6年4月30日合祀)
- 素戔嗚命(阿賀神社:大正6年4月30日合祀)
境内
- 境内神社
- 糺神社 - 祭神:玉依姫命
- 鷺神社 - 祭神:稲背脛命、磐長姫命
現地情報
所在地
- 鳥取県西伯郡南部町倭3
交通アクセス
- JR山陰本線米子駅より日ノ丸自動車バス法勝寺線「倭バス停」(約18分)下車後、徒歩約11分
脚注
参考文献
- 石破洋『イナバノシロウサギの総合研究』牧野出版、2000年6月1日。
- 鳥取縣神社廰 (2024年). “賀茂神社”. 鳥取縣神社廰(公式ホームページ). 2024年12月24日閲覧。
- 鳥取県神職会『鳥取県神社誌』鳥取県神職会、1935年、474–475頁。
外部リンク
- 鳥取縣神社廰(公式ホームページ):賀茂神社
