柿並 弘慶(かきなみ ひろよし)は、戦国時代の武将。大内氏家臣。父は大内教幸。兄弟に牛久山口氏の祖となった山口任世がいる。

生涯

長禄4年(1461年)、大内教幸の子として生まれる。

応仁の乱の最中の文明2年(1470年)2月、将軍・足利義政は大内教幸(道頓)を大内氏当主と認め、本来の当主である大内政弘を討つよう命じた。法体の教幸に代わって、嫡男の大内加嘉丸が守護職に補任されたが、教幸は同年12月に挙兵した陶弘護に周防国玖珂郡で敗北。敗れた教幸は安芸国で仁保盛安と合流して石見国に転戦、さらに長門国阿武郡の賀年城を拠点に反攻しようとしたが、翌文明3年(1471年)12月に再び敗れて豊前国に落ち延びた(大内道頓の乱)。

この時期の弘慶(当時は千代丸)の動向は不明であるが、後に長門国阿武郡川上村の柿並谷に居住して、苗字を「大内」から「柿並」に改めた。また、「弘慶」という諱も、大内政弘から「弘」の偏諱を与えられたものとされる。

その後、弘慶は大内政弘・義興の2代に仕え、大永7年(1527年)6月28日に死去。享年67。子の隆幸が後を継いだ。

参考文献

  • 『萩藩閥閲録』巻120「柿並嘉門太」
  • 岡部忠夫『萩藩諸家系譜』(マツノ書店、1999年復刻)

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